Twitter Facebook 苦難と希望〜第23回電動車椅子サッカー日本選手権⑩ 大会を振り返って 電動車椅子サッカー 2018年1月20日 新時代の王者、決まる 2日間に渡って、計27試合で争われた「日本電動車椅子サッカー選手権大会」も全日程が終了。表彰式が始まります。 「第23回日本電動車椅子サッカー選手権大会/POWERFUL6」準優勝は大阪ローリングタートル(大阪府)。優勝はお預けとなりましたが、新設される近畿リーグで力をつけ、次回大会ではまた優勝候補に食い込んでくることでしょう。 そして優勝はSFCデルティーズ(静岡県)。登録メンバーの少なさをチームワークでカバーし、スタッフ、選手が一体となっての優勝劇。優勝経験のないチームに勇気と希望を与えたのは間違いありません。 「第1回日本パワーチェアフットボール選手権大会/MAX10」の準優勝は、前回大会でも準優勝だったRed Eagles兵庫(兵庫県)。2年続けての準優勝は悔しいでしょうが、新戦力も獲得しつつ毎年上位に食い込む安定した強さは、しばらくは衰えないはず。 栄えある第1回大会の覇者はYokohama Crackers(神奈川県)。直前までチームにまとまりを欠く中で、執念の優勝を果たした彼らが、再び電動車椅子サッカー界のメインストリームに戻ってくる日はすぐそこです。 MVPに選ばれたのは、SFCデルティーズ2#石脇将太選手。攻守にわたりチームの軸となって2日間走り抜きました。 そして時速10kmカテゴリではYokohama Crackers17#永岡真理選手。重要なタイミングで決定的な仕事をし、チームを優勝に導いた、文句のつけようがないMVP受賞でした。 POWERFUL6優勝のSFCデルティーズ(静岡県)。 MAX10優勝のYokohama Crackers(神奈川県)。 電動車椅子サッカー界の節目となった大会 史上最多、29チームが参加した今大会。様々な意味で、電動車椅子サッカー界にとって大きな節目となりました。 何といっても、時速10kmカテゴリ(MAX10)の新設。「第23回」のナンバリングを残しつつ、MAX10を「第1回」いう位置づけにしたことは、国際化に舵を切りつつ現在のルールも残すという、日本の方向性を決定づけたということになります。 第3期日本代表選手団は、W杯までの6年間の活動の締めくくりとなる報告会を行い、最後の役目を終えたという意味で一つの節目となりました。次回大会に向けて、ひとまず日本代表選手団は解散となります。 そんな節目となった今大会は、これからの電動車椅子サッカー界を照らす希望に満ちていました。 花開いた若い力 若い力が目立った今大会。選手、チーム、また運営も若い力が躍動しました。MAX10のERST広島M.S.C、Nanchester United鹿児島の小・中学生選手は、着実な成長を見せてくれました。主要大会で初得点を決めた、ERST広島M.S.C 20#横山真也選手。 昨年から大きく成長を遂げた、ERST広島M.S.C 12#住吉謙信選手。 得点をマークし、相手選手と堂々と渡り合ったNanchester United鹿児島14#井戸崎竜斗選手。 特に大会初得点をあげた20#横山、14#井戸崎両選手は、チームの主戦力として大きく伸びました。5年後10年後、競技全体を引っ張っていく存在になることでしょう。 ——大会期間中、印象的なシーンがありました。大会1日目、2回戦のNanchester United鹿児島戦を控えていたYokkohama Crackers。サブアリーナでは、チーム恒例の応援団長による景気付けが始まっていました。 輪になって彼の演奏に聞き入る選手とサポーター、スタッフたち。 と、その輪の中に一人の紫色のユニフォームを着た選手が歩み寄り、彼の歌を聞いています。1回戦でYokohama Crackersに敗れた、A-pheile広島P.S.C19#宮脇太陽選手でした。 19#宮脇選手は歌が終わると、静かに、しかし力強い声でこう言いました。「僕たちの分も頑張ってください!」対戦相手からの思わぬエールに、チーム一同は感動に包まれます。試合に出る機会がほとんどなかった石井選手も、この言葉に突き動かされるものがあった様子。このエールは、のちにチームを優勝に導く原動力になります。 彼の目には、Yokohama Crackersの姿はどう映ったでしょうか?もしかしたら、憧れのの気持ちとともに、自らのチームの未来図を重ね合わせていたかもしれません。 —–時速6kmから時速10kmカテゴリに転向したチームもありました。それは主要大会での時速10kmの経験はほぼ皆無のバレッツ(長野県)。 結果は厳しいものでしたが、時速10kmの世界を肌で体感し、大きな経験を得たと思います。 今後彼らが時速10kmカテゴリをキープするかはわかりませんが、チャレンジする気持ちの強さを感じた試合でした。 —–チームを離れ、一人の審判として関わる道を歩み始めた若者もいました。初めて主審としてピッチに立ち、堂々のジャッジを見せた城下侑樹審判員です。 昨年まで金沢ベストブラザーズ(石川県)のスタッフとして、また城下家の家族の一員として、チームに帯同してきた彼は、幼少から生活の一部であったチームを離れ、主審として日本選手権の場に立つことを選びました。 主審デビュー戦はDKFBCディスカバリーvs兵庫パープルスネークス。 ベテランレフェリーの貝谷審判員が副審として試合をサポート。主審デビュー戦は城下審判員にとって、大きな経験でした。 金沢ベストブラザーズが敗退しても、一切それに触れることなく、審判として中立を保ち続けたその芯の強さ。彼の存在は、電動車椅子サッカー界にとって大きな光明です。 —–そのほか、大会二日目にはエキシビションマッチを兼ねた審判講習会が開催され、新しい中級審判も誕生しました。 国際審判員である斎藤氏ら、国外でも活躍するベテランからも直々に指導を受け、経験値を積み重ねていきます。 緊張の面持ちで主審を担う若い審判員。そしてそれを厳しい目でチェックする先輩審判員。10数年後、国際審判員として世界に羽ばたく審判員もいるかもしれません。 審判制度にはまだまだ改善の余地が残されています。若い審判たちがもっと活躍できる環境整備が待たれます。 —–これだけ大規模な大会を運営する上で欠かせないのは、ボランティアの協力。今大会では、県内の高校生のべ約40名以上が2日間に渡って運営を手伝いました。 迅速な会場の設営。遅延なくスムーズに大会を進行することができたのは彼らの力によるものです。 初めて電動車椅子サッカー、そして重度障害者と交流した人も数多くいました。この2日間で彼らができるだけ多くを感じ、多くを学んでくれたと期待したいですね。 ポジティブな影響をもたらしたレギュレーション変更 予選大会が撤廃されたこともあって、日本選手権初出場のチームは全体の約半数。特に時速6kmカテゴリ(POWERFUL6)では、7割近くが初めて日本選手権の舞台に立ちました。 「真剣勝負ができた」「強豪と互角に渡り合えた」「目標ができた」「楽しかった」。そんな声が多く聞かれました。大会レギュレーションの変更は、結果的に多くのチームにポジティブな変化をもたらしたようです。 他競技団体との交流 静岡で活動するアンプティサッカーチーム「ガネーシャ静岡AFC」の選手がボランティアスタッフとして加わったことも大きなトピックスでした。ガネーシャ静岡所属、若杉選手と梅原選手です。 高校生への指導や会場の設営などをサポートしていました。 いい笑顔です。 アンプティサッカーの選手達がボランティアに関わることは、当事者同士が互いの競技を知り、交流し、次のアクションを起こす上で、とても大きな意味を持つと思います。JIFFとの連携確認 今大会、一般社団法人日本障がい者サッカー連盟(JIFF)専務理事兼事務総長 松田薫二氏が来賓として招かれたことも大きなトピックス。 2016年4月に設立されたJIFFは、バラバラだった障がい者サッカー7団体を結びつけ、障がいサッカーの普及を推進する為の団体。日本選手権で得た課題や参考になる部分を他団体に広げていただくことは、非常に大切なことです。 功労者への表彰 開会式前に、競技の発展と普及に長年携わってきた関係者への、功労者表彰が行われました。その様子は撮影できませんでしたが、草創期から競技の普及に尽力してきた方達が表彰されました。 大会を支えた人たち 審判員 大会は選手・チームだけでは成り立ちません。多くの支える人たちがいました。試合を時には厳しく、時には和やかに、見守り続けた審判たち。 運営実行委員・スタッフ 2日間の会場設営だけが彼らの仕事ではありません。大会の何ヶ月も前から、各方面への交渉、告知広報、スタッフや備品の確保、ホテルの手配などを行ってきました。試合前日から現地に入り、閉会式までを濃く目に記録し続けたオフィシャルカメラマンもいました。そうした見えないサポートにも思いを巡らせて欲しいのです。 山積する課題の解決は、これからが本番 一方で、電動車椅子サッカー界の混乱ぶりや、競技への関心の薄さを感じる大会でもありました。画期的な意見交換の場。一方で… 29ものチームが集まることは過去に例がありません。大会初日には全チームの関係者が集まって1時間近く意見交換会が行われました。 そこではレギュレーション変更の話題から今後の電動車椅子サッカー界のあり方まで、幅広く議論されました。ただ、初日の疲労が残る中、この1時間だけで何かが決まるわけでもありませんでした。全国のチーム関係者が、直接顔を合わせ話し合える機会が設けられたことは、画期的なことだと思います。しかし年1回1時間だけの意見交換では、足りないと言わざるを得ません。 伸びなかった観客動員 連日の熱戦にわいた今大会ですが、正直に言えば観客の少なさが目に付きました。 もっとも観客動員の少なさは世界的なもので、7月のアメリカW杯会場ですらも、空席が目立っていたそうです。だからと言って、諦めていい訳ではありません。W杯の誘致やパラリンピック種目への採用には、国内人気の盛り上がりは必須だからです。限られた条件の中で集客に手を回せない現状もあると思いますが、内外から知恵を出し合って改善して欲しいところ。W杯という大きなイベントが終了した今、根本的に見直す時期にきています。 時速6kmは時速10kmに比べて価値が低い? 今大会は時速10km・時速6kmの2つが同時並行で開催されました。しかし、2つのカテゴリが同価値で扱われていたかというと、そうとは言い切れなかったでしょう。 その差を感じたのは、2日目に行われたPOWERFUL6決勝の時。花道を通ってピッチに姿を現した両チーム。しかし、周囲を見渡してみても観客はまばらです。仮にも国内最高峰の大会の、しかも決勝戦。それに似つかわしくない光景だったことは否めません。MAX10の決勝戦では観客も増え、Yokohama Crackersの大応援団の声援もあり、会場は華やかさに包まれましたが、それがより格差を際立たせました。昨年まで時速6kmで競い合っていたことを考えると、この格差は寂しいものを感じます。もちろん迫力や爽快さでは時速10kmの方が華やかでしょう。しかし競技人口の大多数は未だ時速6kmが主流。そしてこれから新しく競技に携わる人も、時速6kmから入る人が大多数でしょう。時速6kmこそ価値向上が急務だと、パラキートは感じました。 日本選手権で改めて見えた世界との差 時速6kmで優勝を収めたSFCデルティーズは、厳しい条件をものともしない戦術で頂点に立ちました。大会を通して失点をわずか1に抑え、3試合連続のPK戦勝利。同じような事情を抱えるチームに希望を抱かせる戦いぶりでした。時速10kmでも、ドリブルに代表される個の力を主体としたサッカーが強さを発揮。日本のスタイルになりつつある印象もありました。 ただ、世界基準ではだいぶ見方が変わります。日本選手権から2ヶ月前に開催されたアメリカW杯。中継で各国の戦いぶりを見た人も多かったでしょう。海外は個人のキープ力ではなく、連動性を重視したサッカーが主流。キーマンはチームに2人以上いて、総合的な技術も高いものがありました。世界を見据えて強化を図っていくのであれば、戦術についての議論は代表だけでなく、チーム単位でもより深まって行くべきだと思いました。 競技に誇りを持つために 電動車椅子サッカーを初めて見たのは一昨年の「ドリームカップ」。その時「自分たちの競技に誇りを持てない」関係者が少なからずいたことに違和感を感じたのを覚えています。今大会を2日間見届けて、改めて「魅力に溢れた、もっと認知が広がるべき競技」であることを再認識しました。競技の成熟のためには、選手はアスリートになるべきであり、その為には関係者や支援者が競技に誇りを持つことこそが大事なのだと思います。競技レギュレーションが変わり、W杯が終わった今、競技環境をよくするにはどうすれば良いのか、世界に通用するためにはどうすれば良いのか、一人一人が問い直し、話し合う好機ではないでしょうか?撤収作業が終わり、誰もいなくなったアリーナ。来年もまたここで、たくさんのドラマを見ることができることでしょう。 優勝の興奮が冷めないままの車内、聞きたいことが山ほどあります。これから私の質問攻めに遭うであろう渡辺氏にほんの少しの申し訳なさを感じつつ、1年前の大阪とはまた違う夕焼けを見ながら、一路、家路に着くのでした。 (了)記事の掲載が遅くなってしまったことを改めてお詫びいたします。———————————————————————————————— 画像・文章の無断使用、無断掲載は固く禁じます。