- 電動車椅子サッカー
静岡が、電動車椅子サッカーの聖地になった
レギュレーションの大きな変更や、世界との差を見せつけられたW杯アメリカ大会など、激震に揺れる日本電動車椅子サッカー界。その今後を占う意味でも重要な転機となった「日本電動車椅子サッカー選手権2017」が閉幕して、早2ヶ月。2日間にわたって計27試合が行われた同大会を、昨年の大阪・舞洲に引き続き、今年も取材に行ってきました。

昨年の大会で大変お世話になったYokohama Crackersのコーチ、渡辺泰介氏に同行させていただき、会場である静岡県袋井市にある小笠山総合運動公園 エコパアリーナを目指しました。エコパアリーナは、2002年の日韓W杯の舞台になったエコパスタジアムの隣に面しています。出発は早朝5:00。道中は渡辺氏とひたすら電動車椅子サッカー談義。去年の日本選手権が終わってのち、どんな変化があったのか、電動車椅子サッカーW杯アメリカ大会を終えて、どんなことを感じたのか、などなど…。
okina-para-sports.hateblo.jp土曜日にもかかわらず高速道路は空いており、また途切れることなく会話していたせいか、気がついた時には会場の駐車場に到着。

なんと横浜から静岡まで2時間半という速さでした。昨年の大阪は8時間の道中だったことを考えると、やはり静岡は近い…。コンビニでの朝食もそこそこに会場に入ると、すでにチームの多くが到着しており、関係者がサブアリーナを慌ただしく走り回っていました。

メディア申請の手続きを済ませ、ビブスを身にまとうと、一年を経て再び戻ってきたんだな、と沸き起こる実感。カメラを握る手に力が入ります。


昨年の舞洲アリーナの2倍はあろうかという巨大なメインアリーナは、コートを3面用意してもまだ余るほどの大きさ。今大会は出場チーム数29。史上最大規模の今大会にふさわしい舞台です。時刻はAM10:00。大阪の激闘から丸1年、ここ静岡の地で再び決戦が始まります。

アリーナに整然と並ぶ全29チーム、そしてスタッフ。その姿は実に壮観。それもそのはず、初日だけで500人近い競技関係者がアリーナに勢ぞろいしたのですから。

日本選手権初出場のチームも多く、歴史を知るスタッフの中には涙を流す方もいらっしゃいました。大会出場を夢に見ながら果たせず、競技を去っていった選手も数多くいる中、この場に居合わせた関係者にはそれぞれ胸に去来するものがあったことでしょう。

選手宣誓はSONIC〜京都電動蹴球団の55#南部静耶選手。

開会宣言がおわると、日本選手権で毎年必ず行われる黙祷。今年、2名の方が天寿を全うされました。電動車椅子サッカーの発展に尽力されたお二方の冥福を祈りつつ、電動車椅子サッカーの歴史とこれからに想いを馳せます。

来賓として、会場となる静岡県袋井市長、JFA(公財・日本サッカー協会)グラスルーツ推進部長 兼 JIFF(一社・日本障がい者サッカー連盟)専務理事 兼 事務総長の松田薫二氏が挨拶に立ち、障がい者サッカーの環境の変化を感じさせました。

そしてスカイブルーのチームジャージに身を包んだ選手8名と浅岡俊彰日本代表監督が前へ。7月に開催された「2017 FIPFA World Cup」大会では、日本は10チーム中5位の成績に終わり、6年前の前回大会から順位が変動することはありませんでした。

電動車椅子サッカーW杯については私も非常に関心をもってその経緯を見守っていました。彼らの健闘を讃えつつも、日本代表に感じた課題についてはまた別の記事でまとめる予定です。
「安全にアメリカ・キシミーへ行き安全に帰る」を大前提として、日本代表としての幾つかのトライは果たすことができた、と語る浅岡代表監督。

結果を残すことができず申し訳ない、と挨拶した日本代表選手団 11#塩入新也主将(Nanchester United鹿児島)。

心なしか、目に力なく感じられる日本代表選手団と浅岡監督。ですが、顔を上げて胸を張ってほしいと思ったのは私だけではないでしょう。大役を成し遂げ、無事に帰還した彼らに、拍手ができる選手や観客席からは拍手が沸き起こっていました。
かくして大会の幕開けを告げる閉会セレモニーが終わり、静寂を破って再び慌ただしく動き始める関係者とボランティア、そして選手達。いよいよ、時速6kmと10kmに分かれて日本一の座をかけて争う「第23回電動車椅子サッカー日本選手権」の火蓋が切って落とされます!
②へ続く
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